今年の目標2

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個人的な今年の目標をもうひとつ。

それは、妙好人さんの勉強をすることです。私の師匠(と勝手に思っている)が取り組んでおられることを微力ながら繋いでいきたいと思っています。

このような不安定な時代だからこそ、ゆるぎない信仰をもとに生き抜かれた妙好人さんの姿を追うことが大切になってくるのではと思うのです。

また、石見は妙好人さんと呼ばれる方が多い地域。

その石見の土徳というものをいま一度見つめ直すことが、これからの石見に住むわれわれに必要なことではないだろうかと思っています。

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今年の目標

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私個人の今年の目標は、

「ちゃんとする」

です。

 

小学生の様な目標で、とても46才の建てる目標とは思えませんが、とにかく、ちゃんとする。

今までちゃんとできなかったところをちゃんとするようにする、ということです。

わたしにとってそれは基本的な整理整頓や書類の作成。話し方や生活態度など、多岐にわたります。仏教徒として生きていくということは、阿弥陀さまの願いに沿って生き、仏教の教えを守り、八正道を実践していくことであるので、ちゃんとする、ということはある意味仏教徒として生きていくということでもあると思います。

 

自分を律していけば、目の前の風景も変わっていく。

 

そういう日暮らしをしていきたいと考えています。

 

2017年 明けましておめでとうございます。

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明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

暦の上で年が変わるというだけで、昨日と基本的に変わらない日です。植物や動物といった自然界は昨日と同じ一日でしょう。

以前「天地明察」という漫画を読みました。江戸時代に暦を作った安井算哲のお話です。太陽暦以前は、暦が変わるということはとても大きなことで、天変地異や大きな政変があった時に変っていたそうです。

安井算哲はそんな中、とても正確な暦を作ろうと努力された方で、天の動きを捉えようと必死に考え実践していく様子が漫画で描かれていました。

現在は太陽暦になり、うるう年も四年に1回1日を足すだけで調節できるようになりました。基本的に年が変わるということは太陽の周りを地球が1周したということですから、正月は物事をリセットするにはやはりちょうど良いのかもしれません。それがおめでたいとはつながりませんが…。

ともあれ、昨日と同じ日ではあるのですが、暦や自然の動きに相応して日暮らしをするのも、これもまた自然なことではないでしょうか。そういうわけで、新年にあたり、気分を新たにして、1周をスパンとして目標を立てていきたいと思っています。

具体的なことはまたおいおい書いていきますので。

大晦日となりました

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いよいよ2016年も終わろうとしております。

今年も光善寺が活動できましたのも、門信徒の皆さま、ご協力いただいた皆様、お参りして下さった皆様、そしてSNSやブログをご覧になって下さった皆様のおかげであると実感しております。

 

来年は、すこし大きなことを予定しておりまして、ますます皆様のご協力をいただくことになりそうです。

 

来年の取り組みはまた年明けの記事で書いていきたいと思います。

 

今夜は11時から除夜会(おつとめ)、11時45分頃から除夜の鐘つき、新年が開けて午前1時ころより修正会をお勤めします。

 

今年1年間、有難うございました。

今日のツイート

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今日のツイートから。

 

「今日の葬儀屋さんの担当ははじめてお会いする方でしたが、「光善寺さまは~でしたよね」とちゃんと以前言ったことを確認していただいた。組織としてきちんと情報が伝達されているのだなあと感心。些細なことだが、大切なことだと思う。」

 

「お通夜からの帰り道。今日の法話はご遺族の皆さんに届いただろうかといつも考えます。いや、届くとかいうこと自体おこがましいのかもしれません。阿弥陀さまの側には間違いはないのですから。」

 

明日は葬儀。大切にお見送りを。

押し迫ってきました。

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ここへきて急に寒くなった感があります。

今年もあと3日になりましたが、今夜はお通夜です。

いのちの終わりに年末も年始もありません。あたり前のことに、気づかせていただきました。

思い出がたくさんある方で、何を話そうか、あれこれ考えています。かれが自分のいのちを懸けて伝えてくださったことを、感じていきたいと思います。

阿弥陀さまにつつまれたご生涯であったことを。

自他ともに

 最近、「楽に生きよう」とか「(良い意味でだろうが)もっとふざけて生きよう」とか、「嫌なことはしない」「真面目はやめよう」という生き方が増えている様だ。それらの根拠になっている思想が不勉強なためよくわからないが、なんとなく違和感を感じている。もうしんどいことはしないでおこうという生き方なのだろう。

 でも、本人はそれでいいかもしれないが、嫌なことをやめてしまった結果、まわりにどれだけ影響があって、もしかしたら周りの他者が傷ついたり大変な苦痛を感じているかもしれない。そうすると、そういう生き方は、自己中心的な生き方であると言わざるを得ない。

 阿弥陀さまは、すべての人が救われないと私は仏にはなることができないとおっしゃる。お釈迦さまは、自身が悟られた後、その安養の境地で満足されるのではなく、その悟った内容を人々に伝えるための苦しい道を歩まれた。自分さえ良ければいい、ということではないのである。

 仏教の教えは、他者を大切にする。自分だけ幸福になればよいというのではなく、みんな心豊かに生きていく道が仏教の教えである。私は仏教徒としてそういう生き方を歩んでいきたいと思う。